SP 4回生 東輝衣
▲立命館宇治高校の教室からみた放課後のグラウンド。夕焼けがきれいだったので思わず撮った。
■「ただ走るだけ」のサッカー部員
私は高校時代、バスケットボール部だった。他のクラブとの兼ね合いもあるから体育館で練習できない日は校庭で練習をしていた。そして、そのたびに気になることがあった。
なぜかいつもグラウンドの周りを、ただ走るだけのサッカー部のクラスメイトがいる。サッカー部なのにボールを蹴っていることをみたことはほとんどなかった。
「いくら厳しいサッカー部でも、、、なんで?」
疑問には思ったけれど、理由を聞くのはなんとなく野暮な気がしていた。教室では明るく振舞っているように見えても、部活のことになるとみんな悩みは尽きない。自分もそうだったし、みんなそれぞれの事情を抱えているのもなんとなくわかっていたから、特に何も聞かなかった。
何より彼は学級委員長。いつだってクラスの輪の中心にいたし、盛り上げ役だった。気配りもできるタイプで文化祭のときだって、劇の主役をやってくれそうな人がいなくて困っていたので相談してみたら、自分がやると前向きに引き受けてくれた。そういう人。目立ちたがりだし、困ったときには頼りになる学級委員長。悩みなんて少しも感じなかったし、だからこそクラブのことは余計に聞きづらかったのかもしれない。
▲3列目右から3番目。中学まではずっとボランチだった。
■追いかけていた夢
幼稚園の頃、2歳年上の兄の影響でフットサルを始め、小学校に上がり地元のサッカーチームに所属した。幼い頃から高校入学までずっと抱いていた夢は「プロサッカー選手」。プロを目指すなら誰でもそうらしいことは最近知ったことだけれど、彼もクラブチームとサッカースクールの両方で練習をして、プロになる夢にまっしぐらだった。
中学時代は自宅から1時間半かかる福知山のクラブチームでプレーすることを選んだ。夜10時までサッカーの練習に明け暮れた中学校生活を送りながら、国立大学に進学した兄の影響で塾にも通い続けて学校の成績は常に上位だったらしい。
彼が自分の夢をかなえるための最短ルートで選んだのは京都府内でも強豪の立命館宇治高校サッカー部。中学2年生のとき、高体連の京都府決勝で見た立命館宇治高校の試合に惹かれて、立命館宇治高校への進学を決めた。
■真逆になった現実
希望を持って入部した憧れの高校サッカー。でも思い描いていた通りにはならなかった。調子に乗り過ぎて失敗することもあって、試合に起用されるどころか、練習でもほとんどボールを蹴ることなく校庭を走り続けることになる。おまけに、肩の怪我までした。2年半ベンチに入ることすらなかったが、3年生の最後の大会でようやく公式戦でベンチ入りした。
高校3年生の最後の大会、立命館宇治高校サッカー部は京都府の準々決勝に臨む。1-0で迎えた後半戦、絶対に同点まで追いつかないといけない場面。
ついに出番がきた。彼のポジションはセンターバックだけれど、監督から告げられたポジションはなんとこれまで練習をしたこともないセンターフォワード。ピッチに入るときには監督に「とってこい」と言われて送り出されたらしい。彼は誰かの信頼に応えることこそを粋に感じる人だ。
彼の高校サッカーのデビュー戦が始まった。
(つづく)
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