WR,4回生,宮本拓実
「帰国子女」という言葉は「自己主張バキバキの明るいキャラクター」とニアリーイコールになりがちだ。宮本はその偏見を簡単にひっくり返してくれる。「 どちらかというとおとなしいほうなんで・・・」もじもじと言いにくそうに言葉を紡ぐ。うん、まちがいないね。どのクラスやグループにもひとりはいるシャイガイ。輪の中心にいるリーダーではなくて、いつも輪の外側から少し控えめに様子を伺っているような感じ。でもやさしく相談に乗ってくれて、最後にはそっと背中を押してくれるような。それが宮本の佇まい。
<ソフトボールではピッチャーでした>
福岡生まれ名古屋育ち。小さなころからかけっこが得意だった少年宮本がのめり込んだのはソフトボール。「すぐ近くにチームがあったから」という理由がどこか宮本らしい。放課後は毎日ソフトボールチームの練習と塾通いに明け暮れる。塾通いもポジティブだった。ソフトボールと勉強、どちらも大切にすることで世界が広がっていくことを教えてくれた母親の考えかたを素直に受け止め、「どんなことも嫌なことってあんまりなくて、なんでも『まぁ、そんなもんか』って受けとめちゃうんです」と、変わらずもじもじと話す。 鈍感なのか懐が深いのか。どっちにしたって嫌なことも、辛いことも、素直に受け止めて次に進むことができるのは、ある意味才能だ。だからこそ、中学1年の9月父親の転勤でカナダの現地中学へ転校することになったときも「地元のみんなと野球ができなくなるのは少し寂しかったけれど、それ以外は別になんとも思いませんでした」。もちろん英語は全くダメ。けれど、小さな頃から速く走れることを自覚し、ソフトボールをしていた少年宮本にとっては、話すコミュニケーション以上に、体を動かすこと、勝負をすることで人とわかり合うことのほうがよっぽど自然で、言葉の壁なんてたいした問題じゃなかったんだろう。
<カナダでの中学時代。後列の左から2人目。やっぱり端っこにいる・・>
おもしろいエピソードを聞き出した。カナダの中学に転校後、ひょんなことから学校で一番のスピードスターとサシで100m 勝負することになってしまった。ギリギリの競り合いを制して勝ったのは宮本。小中学校で「足の速いヤツ→人気者理論」はいつだって世界中の共通ルール。「日本から来たシャイな転校生」はこの 直後から、またたくまに学校中の注目を集める。「 クラスメイトの誕生日会に呼ばれたり、体育の先生からはタグラグビーのチームにも誘われて・・、でも最後までやり続けたのは野球とバスケでしたけど・・。」
<帰国前の最後の試合でチームメイトと>
北米ではスポーツは季節によって変わるのが一般的。宮本の場合は夏に野球、冬にバスケ。1年間で異なるチームメイトと2シーズンを過ごす。たった2年間だったが、帰国するころには英語は学校から表彰されるレベルになっていた。 中学3年が終わる半年前に地元名古屋に帰国。せっかく身についた英語をサビさせたくなかった宮本は、京都にある立命館宇治高校を受験することを決めた。 運命の⻭車はスピードを上げて回り始める。 (続く)
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