RITSUMEIKAN PANTHERS の歩み

HERITAGE

1953
立命館大学アメリカンフットボール部創設
関西リーグでは関西学院大学、関西大学、同志社大学、京都大学に次ぐ5番目のチームとして創部。当時、タッチフットボールの強豪だった奈良高校出身者が中心メンバーとなるが、当初の部員は13〜15人で毎日全員参加ではない状況が続く。記念すべき初戦は関学に0-132と大敗を喫する。

1954
大学から体育会クラブに認定される
待望の初勝利
初年度の秋季リーグは0勝4敗の戦績で終えるが、当年11月4日、京都大学から13-8のスコアで初勝利をあげる。
1956
山本一也氏が監督に就任
2代目主将の山本一也氏が監督に就任(1956ー1959まで。以降しばらく実質的な監督は置かれず、OB各位が交代でコーチを務める)。春シーズン、甲子園ボウルで関西学院大学と覇権を争っていた日本大学に13-6で勝利する。

1965
拠点を神山グラウンドに移転
創立当初から鴨川河川敷で練習を行っていたが、広小路キャンパス(当時)から専用バスで20分ほどの上賀茂にある神山グラウンドに練習場を確保する。

1970
関西学生2部リーグに降格
桃山学院大学が参加し1部リーグが8校になる中、入れ替え戦で追手門学院大学に敗れ2部リーグへ降格となる。

1971
拠点を柊野グラウンドに移転
練習拠点を京都市北区の柊野グラウンドに移転。ようやく部室が与えられる。前年の2部リーグ降格を受け、京都大学との合同練習が積極的に行われるようになる。 2部リーグで優勝するも入れ替え戦で大阪大学に8-22で敗戦。1部復帰を果たせずシーズン終了となる。

1979
関西学生1部リーグに復帰
70年代後半には部員がようやく35-40名程度に増加。1部リーグへの復帰を懸けた入れ替え戦で神戸学院大学に46-21で勝利し、9年ぶりに1部リーグへの復帰を決める。
1981
関西学生2部リーグに降格
2勝5敗7位でシーズンを終えたのち、入れ替え戦で7-27で岡山大学に敗戦。2度目の2部リーグへ降格。

1982
拠点を柊野グラウンドから衣笠キャンパス原谷グラウンドに移転 関西学生1部リーグへ復帰
前年度敗戦した岡山大学に入れ替え戦で6-0で勝利して1部リーグへ復帰。

1984
平井英嗣氏がヘッドコーチ就任
平井英嗣氏がヘッドコーチに就任(1993年に監督就任)。 原谷グラウンドに合宿所、ウェイトトレーニングルームが増設されたが照明設備は未整備だったため、ほとんどの部員が通学に使用していた50ccバイク数十台のライトを点灯させて練習を行う。

1987
チーム名をグレーターズからパンサーズに変更
コーチ数名がピッツバーグ大学・ワシントン大学へ短期留学。学術提携を行っていたピッツバーグ大学のチーム名にならい、チーム名をグレーターズからパンサーズに変更する。あわせて「アナライジングスタッフ・トレーナー体制の構築」などチーム改革を行う。

1990
チームロゴを足型に変更 関西学院大学に初勝利
チームロゴがRマークから足型に変更されたことに合わせてユニフォームのデザインも変更。当時京都市動物園で飼育されていた子どもの豹の足型を取って、デザインされた。 秋季リーグ戦にて13-12の1点差で関西学院大学から勝利。創部37年目にして初の勝利となる。

1994
拠点をびわこ・くさつキャンパスに移転 関西学生リーグ初制覇・甲子園ボウル初優勝
前年1993年に平井ヘッドコーチが監督に就任。 練習拠点をこの年開学した立命館大学びわこ・くさつキャンパス(BKC)に移転。 創部41年目にして、7戦全勝で初のリーグ戦優勝を果たす。初出場となった甲子園ボウルでも法政大学を僅差で破り初の学生日本一に。しかし続くライスボウルでは松下電工に惜敗する。
